暫くブログを中断していたが、また再開してみる気分になって来た。
さて、浮世というものは元来面白い事も少なく、ましてや自分の思う通りに物事が進む事など滅多に無いのだという真理に早くして目覚めた自分は、幸せ者ではないかと想う。
ギャンブルの馬鹿ツキではないが、何故か全てがフィーバーする時期もあるにはあるだろうが、マクロ的にみれば人生のほんの一幕でしかないはずだ。 人は誰しも3度フィーバーする機会を与えられるというが、私的には見過ごしたり無駄にしたりで、次なる機会は既に無きものと心得ている。
しかし、こんな風に浮世の事柄を達観してみると、目の前に
全く別のパラダイムが開けてくる様にも感ぜられるから面白い。
稀に何か願い事がかなった時などは、本当に嬉しくなるし、周囲の万物に対して素直に感謝の念が湧いて来る。 感謝の念は
陽の《氣》であり、陽は陽を呼び込んで陽の循環を生むようで、この循環の内に連なる万物は、自ずと安らかというか、朗らかなイメージに包まれる様に想える。

俺が俺がのイケイケで生きていると、想定通りだとか
自分の力の賜物だとかいった真逆の発想となって、
100点が99点になっただけでも 愚痴、怒り、妬みと
いった様な
陰の(氣) をブスブスと周囲に振りまく
疎ましい存在悪となりがちだ。 更に中年を過ぎると
ここに 《加齢臭》 までもが加わる訳だからして、
周囲の万物もたまったものではあるまい。
私だって、限りある残り時間の中では極力そのような存在とは係わり合いを持ちたくはない。
既に人生の第3コーナーを周っている我身としては、粛々と
スカっと爽やかに枯れて行きたいと願う昨今ある。
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