私は生来 セレモニーというものが大の苦手である。 七五三 から始まり 入学・卒業式 成人式 結婚式等々 改まった席が苦手なのである。

ましてや私が死んでしまった後、諸事お忙しい方々に、わざ
わざ葬式に来て頂くなど論外であると思っている。 万一
折悪く、厳寒の冬場などに私の葬式があたった場合など、
ご足労頂いた方に肺炎など患ってもらっては、責任を取って
渡りかけた三途の川に身を投げなければならなくなってしま
うではないか。。。 生前に何かのご縁で知遇を得た方々
には、葬式で 最後のお別れ等と堅い事はいわず、その方々
の思し召しのまま、 良しにつけ悪しきにつけ、昔の思い出などに登場させて頂ければ十分なのです。 葬式で、坊さんに拝んでもらわなければあの世へ行けない様な悪行に現世で手を染めた覚えもなし、この世にそれ程執着もない。 従って、私は 断固
【葬式無用】論を支持するのです。

又,
【戒名】というものについても、いまだにその価値が理解
できずにいる。 あの人もこの人も持っているからという理由
だけで、安くもない命名料を払ってわざわざ取得する必要が
あるものなのか??? だいたい
【戒名】とは、生前の俗
名に対する死後の名ではないそうではないか。 武田信玄
を見よ、上杉謙信を見よ。。。。 信玄 謙信 とも 生前に授
かった
【戒名】ではないか。 ものの本によれば、
【戒名】 とは元々は仏道を目指す証として十戒を受ける時、師より授
かるもので、身分の上下や精進、報恩、ましてやお布施の多少
に関係なく、佛の世界が平等である事をあらわしているとある。 然るに、現在の日本では、死後に戒名をつけるのが一般的で、その際に高額な戒名料を要求されたり、その額によって戒名に差がつけられたりしており、仏の道を外れ
【戒名】が一種の宗教ビジネスになっているという。
ほんのこつ 汚らわしい。。。。 
バブル時代華やかりし頃に、タニヤのカラオケで踊り騒ぐ坊主頭
集団を目撃した事があるが、あれは、その筋の方々ではなく、
観光に来た
【仏に仕える集団】 であったと今でも確信して
いる。 あれやこれや つらつら想うに、
白洲次郎 という先人の
【葬式無用 戒名不用】 という言葉の潔さに いまさらながら
【萌え~】 である。
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